東急東横線・目黒線の田園調布駅から南西に330m:徒歩5分の所にある。正真正銘、日本最高の高級住宅街の中にある公園だ。
公園としても古く、起源は大正14年。田園調布を開発した際に、武蔵野の景色を保存するため、当時のデベロッパーである田園調布株式会社がこの地を公園用地として残したことによる。その後、昭和9年に当時の所有者の田園調布会より東京市に寄贈、整備され、昭和11年に大田区に移管された。
田園調布は東急田園調布駅を中心に西側に扇形に道路を配したことで有名だ。明治中ごろまでのこの辺りはのどかな農村地帯であったらしい。当時はもちろん電車も通っていない陸の孤島のような田舎だったこの地に、中流階級のための住宅地開発を推進したのは、日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一だ。渋沢は清浄な空気と豊かな緑といった田園の長所と生活インフラの整備された都市の長所を組み合わせた、言わばベッドタウンを構想してこの田園調布に実現させた。
面白いのは、当初は中流階級のための生活拠点を考えていたことだ。当時、ここに移転してきた人たちは、ある程度収入はあるが、都心は地価が高くて手が出ない、医者、弁護士、教職者と言ったインテリが多かったということだ。その後、段々高級住宅地となっていき、インテリに代わって富裕層が住むようになった。
周辺の街並みも明らかに他の地域とは異なる。一軒一軒の土地は150坪以下に切り売りできないように大田区の条例が定められていて、景観も守られている。誰だったか、バブルの頃に成金が引っ越してきて、隣人を尻目に道路でベンツを磨いているなどと言った評論家がいたが、これは誤り。ココに住む人々は道路に車を出して洗車する必要はない。邸宅内でことが済む。邸宅によっては、車庫が道に面しておらず、外からはどんな車を乗っているのかさえわからない場合もある。車寄せがある邸宅もある。庶民の想像力では計り知ることはできない。
公園はまさに武蔵野の森といった雰囲気だ。丘陵地の公園なので、高低差があり、変化に富んでいる。田園調布駅寄りの東側が最上部で、多摩川台公園寄りの西側が最下部となる。公園内は散策路が縦横無尽に通っていて、散歩するにはいい。高齢の方でもいい散歩コースだ。樹木も様々。公園入り口のガイドパネルには約70種1500本の樹木が繁っているとある。
公園上部には梅園もあり、梅の本数も多いのだが、どうもあまり木に元気がない。梅の時期にも訪れたが、ちょっとがっかりだった。梅園の周囲は広場になっていて、テラスもあって落ち着ける。面白いジャングルジムもある。
公園中間部は深い森に囲まれた散策路。さらに下りて公園下部に行くと、池がある。
池にはアヒルやカモなどもいる。池の水はポンプによる循環式。大分濁っていて、水質は悪そうだ。浄化システムが必要かもしれない。
池の端には池全体を見渡せるテラスがせせり出ている。自分が幼少のときに、ここで鯉にえさをやった覚えがある。今は濁っているので鯉も見えない。
池の南部は広場になっていて、ブランコやすべり台が一体となったアスレチック複合遊具たバーゴラがある。
この広場脇には桜が植わっていて、開花の季節には綺麗だ。
多摩川台公園にはとてもかなわないが、宝来公園から多摩川台公園へと桜見物で散歩すると、楽しい。
池の周囲にはアヤメやアジサイが植えられている。また、公園東北側は椿の森があって冬場はこれも綺麗だ。訪問したときはアヤメとアジサイが美しかった。
公園中間部には噴水がある。昔ながらの丸い池の中央に噴水がある作りだ。これもこの公園の歴史を感じさせる。公園中間部には休憩所もある。
尚、公園の名前はもともと宝来山古墳があった所だったことに由来する。
自分の話で恐縮だが、幼い頃、いとこが我が家に遊びに来たときに、たまにこの公園に皆で来た思い出がある。当時は整備された公園は少なく、ここの公園らしい雰囲気が好きだった。
ここは当時とほとんど変わっていない。昔はもう少し明るかったような気がする。木々が生長して、今はさらに深い森になった。
高級住宅街にある公園にふさわしく、落ち着きと品格を持っている。子供たちがギャーギャー言って遊ぶ公園ではない。静かで、ゆったりと物思いにふけるには最高の場所だ。恋人たちのデートコースにするのもいいだろう。お金持ちになった気分で、散策できる。
周辺の住宅を眺めながら散歩するのも面白いだろう。住民の方には憩いの公園、来訪者にとっては非日常を体験できる場所である。
所在地 (地図をクリック!) |
東京都大田区田園調布3-31
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